アンネのバラ

 

 第二次世界大戦中,ナチスの迫害を受け15歳で亡くなったアンネ・フランクは,隠れ住んだ屋根裏部屋から見える野バラを心のよりどころにしていたという。
 戦後,野バラはアンネの父から育種家へあずけられ「アンネの形見のバラ」と呼ばれるようになった。そして,その野バラは、アンネの父と出会ったある音楽愛好家を通して,日本に根付くようになった。
 それを知った青木絵梨〔当時6年生・第1回卒業生〕は,「アンネのバラ」を創立間もない東根中部小学校のシンボルにしたいと提案,学年集会に諮り,児童の総意として「バラを分けてほしい」と京都の山室建治さんに手紙を送り,快諾された。バラは,第1回卒業式を前に,本校に届き,可憐な花を咲かせた。
 本校では,児童一人一人に「思いやりの心」を育てるシンボルとして植栽し,平和な社会に寄与したいと考えている。

 

 アンネのバラの歌は,アンネのバラが本校の「シンボル」であることや,アンネのバラに込められた全員の願いを歌詞にして,本校教諭でもあった,故平山公美子先生が作詞・作曲した歌です。ぜひダウンロードしてお聞きください。

アンネのバラの歌〔伴奏〕.aif

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満開のアンネのバラの前で微笑む子ども達。

 アンネのバラは,1つの株にいろいろな色や形の花を咲かせます。また,それぞれの花も今の色に留まらずに,時間と共に次第に変化していきます。まるで,東根中部小学校の一人一人の子ども達の個性と成長を表しているようです。